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転院しました [乳がんなんて吹っ飛ばせ!]

私が乳がんと診断されたのが、2013年の年末でした。2014年1月30日に右乳房全摘手術を受けました。
術後の病理検査の結果は、しこりの大きさ1.5センチ、リンパ節転移なし、ステージはⅠ。ホルモン感受性はエストロゲン受容体(ER)は75%、プロゲステロン(PgR)は95%と高度ホルモン反応性、HER2スコアは3+(陽性)で、サブタイプはルミナールB(HER2陽性)というタイプ。増殖能(Ki-67)は60%(普通は20~30%)と高い値でした。組織的異型度(がんの顔つきによる再発のしやすさ)はグレード2(三段階あるうちの中)で、悪性度は高かったものの、薬物療法は抗がん剤治療と分子標的治療、ホルモン治療の三段構えが有効というタイプでした。
術後は、抗がん剤治療6ヶ月、分子標的治療1年、ホルモン治療を4年間行ってきました。

分子標的治療というのは、がん細胞の表面にHER2タンパクが過剰に発現しているタイプ、つまりがん細胞の増殖力が強いタイプの乳がんに対して、そのHER2タンパクを標的として作用する薬を用いて治療する方法のこと。乳がん患者の5~6人に1人がこのHER2陽性とのことで、私もそうでした。

ホルモン治療については、タモキシフェンというお薬を1日1錠飲むだけでしたが、薬をもらうために2ヶ月に1度通院していました。毎回血液検査と問診、6ヶ月毎にエコーかマンモ、CT検査をするというサイクル。ただ、肝臓の数値が悪いので、昨年8月からはタモキシフェンは中止していました。肝臓の数値が悪いのは、お酒の飲み過ぎと肥満が原因だと自分では思っているのですが、ホルモン治療の薬の副作用として、肝臓への負担が大きいということもあるそうなので、薬を止めて様子を見ようということでした。

手術を受けたのが名古屋での病院だったので、そのまま予後の治療も名古屋の病院で続けていましたが、今年4月に東京に転勤になったので、通院をどうするか迷っていました。が、7月に名古屋の病院で転勤になった話をしたところ、『僕の同期がいる病院を紹介しますよ』と言っていただいたので、東京の病院に転院することにしました。私の自宅からだとタクシーで20分くらいのところです。

そして先週、初めてその病院へ行ってきました。触診と血液検査、これまでのカルテなどから、特に問題ないということで、次回の通院は5ヶ月後になりました。薬の処方もなし。
ホルモン治療も1年前からやっていないので、先生に『ホルモン治療は10年やった方が良いと聞いてますけど、このまま薬を中止しても大丈夫ですか?』と聞いてみたところ、『HER2タイプの患者さんなら、再発や転移するとしたらもっと早い時期だから、5年経って大丈夫なら問題ないですよ』と。つまり、分子標的治療が功を奏して、完治したってことみたいです[ひらめき] 今後は半年に1度の定期健診でいいですよ、ということでした。

実は、名古屋の先生からは、その点についてはっきりとは言われていませんでした。肝臓の数値が良くなったら、ホルモン治療を再開するものだと思っていました。土曜日の診察OKだったので会社を休む必要はなかったけど、東京へ引っ越してからは、そのまま名古屋の病院に通院していたら、2ヶ月毎の通院はけっこう負担になるところでした。
やはり先生によって、治療方針が異なるんだなぁ~と思ったのでした。

明日、美智子さまが乳がんの手術を受けられるそうです。ステージ1とのことですが、ご高齢なので全身麻酔の手術の方が心配ですね。無事に手術を終えられますようお祈りします。
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私は長女ですが、姉がいました [私の日記]

母は生涯で5人の赤ちゃんを身ごもりました。が、無事に産まれてきたのは私と妹だけ。
先日TVドラマを見ていて、ふと、自分には亡くなった兄弟がいたことを思い出し、母が亡くなった時に取得した除籍謄本を見てみました。あと三人いたはずなのに、戸籍上、母の産んだ子供は私と妹だけでした。。。調べてみると、死産の場合は戸籍に記載されないということを初めて知りました。

私と妹がまだ幼い頃、地元の産院に入院していた母を見舞う記憶が、今でもあります。もう50年近くも前の話、その産院も今のような近代的なところではなく、昔を舞台にしたドラマに出てくるような簡素な造りの部屋。それでも、『弟か?妹か?』と楽しみに、母を見舞った記憶があります。産まれたのは弟だったと聞いた気がしますが、けっきょくその弟は自宅に帰ることはありませんでした。
当時の私は、それがどういうことなのかよく分かっていなかったし、どういう状況だったのかも知りません。ただ、母のお腹に大きな手術痕があったことは覚えています。
その後も母は妊娠したようですが、その赤ちゃんが産まれてくることはありませんでした。そしてそのことについて、私の中の記憶はほとんどありません。

大人になってからも当時の妊娠、死産について母と話をすることもなく、だけど、母が幼少の私によく話していたのが、私と同じ誕生日に産まれていた姉の存在のこと。私が生まれるよりも2年前のことだったと。だから私は姉の分まで生きているんだよと、母はよく言っていました。
ただ、その姉が産まれた事実が戸籍では分からないということが、なんだかとても悲しいことだなぁ~と思ったのでした。

死産は戸籍には載らない、そのことで辛い思いをしているお母さんたちがたくさんいることを、今回改めて知りました。



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市川海老蔵展in日本橋高島屋 [歌舞伎!!]

9月2日、病院の帰りに日本橋高島屋まで行ってきました。十三代目市川團十郎白猿襲名記念の市川海老蔵展です。写真OK、SNSもOKとのことなので、お気に入り写真、アップさせていただきま~す[るんるん]

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こちらは『にらみ』、市川團十郎家だけに許されるにらみで、にらまれると無病息災で一年を過ごすことが出来ると言われています。たぶん2018年1月の初春歌舞伎の口上の時のものだと思います。実際に目の前で観ると、ほんとに鳥肌が立ちます。。。

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この七月に勸玄くんが披露した外郎売、海老さまの外郎売の映像を観ることが出来ます。

市川團十郎家のお家芸歌舞伎十八番について、これまで海老さまが勤めた時の写真のほか、まだ復活させていない演目は昔の歌舞伎絵で紹介されています。
実際の舞台衣装も展示されています。
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勸玄くんの初舞台、白狐の衣装も[ひらめき]

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そして何よりも今回の一番の楽しみは・・・『暫』[ぴかぴか(新しい)] 展示も映像もあって見入ってしまいました。
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何度でも観ていたい[exclamation]

この他にも『ABIKAI』や『六本木歌舞伎』や自主公演など、海老さまが精力的に行っている新作歌舞伎の映像もあって、なかなか充実した展示でした。
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楽屋の様子も。

市川宗家と言っても、海老さまが歌舞伎座に出るのは1年のうち2ヶ月しかありません。歌舞伎界には他にもたくさんのお家があって、幹部俳優さんたちもたくさんいるので、いろいろな事情があるのでしょうね。海老さまが端役を勤めることは、襲名祝いなどを除いてはほとんどありません。そういう事情なので、新橋演舞場での『初春歌舞伎』以外では、『ABIKAI』『六本木歌舞伎』『古典への誘い』『自主公演』など地方を回るというスケジュールになっています。今年は演劇の舞台にも挑戦!
その分、いわゆる歌舞伎というジャンルに縛られない、いろいろな演出に取り組んでいて、それはそれでスゴイことだなぁ~と思うのです。そしていろいろやっても、歌舞伎十八番の復活という本家本元の歌舞伎では、市川宗家らしくピシッと決める。

来年5月の襲名に向けて、まだまだたくさんの舞台を勤めることと思いますが、くれぐれも体には気をつけていただきたいですね。

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