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母に、抱きしめられて [私の日記]

4月26日、ほぼ4ヶ月ぶりの帰省です。母の肺にガンが転移していることを聞いてからは、初めての帰省でした。
母は思いの他、元気そうでした。顔色も良く以前と変わらず家事をこなしていました。ほんとに母が病気だなんて、言われなければ分らないくらいに。

帰省する前に、宅急便で広島のお土産を母に送りました。もみじまんじゅう、ちりめんじゃこ、金山寺みそなどなど。
『食べるものがおいしい』と言って、食欲もあるようでした。
ただ、時々すごく苦しそうに咳き込んでいたのは、やはり、母の肺に異常があるということを思い起こさせるものでした。

私が帰省している間に、2週間に1度の抗がん剤投与の日が来ました。右胸の上部あたりの体内に埋め込まれた点滴用の器具に、48時間もの間点滴をつなぐのです。点滴をつないでいない時、器具が埋め込まれた部分を触らせてもらいました。固いものの感触。生身の人間の肌は柔らかいものであるはずなのに。そんな。

母は、夕食の片付けを終えたあと、夜中まで納屋の掃除をしているのです。
家事は、同居している妹や私が代わってあげるべきなのですが、あえて母にやってもらっています。だって家事は母の唯一の“日常”だと思うから。家事をすることが自分の存在価値であるから。今の母にとって家事をするということが、“生きている作業”だから。

そんな母が時間が経つのも忘れて、色々な場所の大掃除や整理をしているのです。
うちの実家は父が子供の頃から住んでいる家で、親戚一同が集まる古い家です。そのために、祖母の代からある来客用の布団や食器類が、山のようにあります。加えて、私や妹たちの子供の頃の通信簿や学校でもらった書類なども、ほとんど処分されず置いてあります。
母は自分がいなくなる前に、そういったものを整理したり処分したい、と。
使わないものが大量にある家で、今までやりたいと思っていても、先延ばしにしてきたことなんだと思います。
ただそれだけが理由ではないと。
人が死を目の前にした時、死を受け入れる為の心の準備、作業なんだと思います。身辺整理をするということは。

たぶん、そういった古いものを整理する中で、母の心が昔に戻ったんだと思います。私や妹の幼い頃のことばかり、言うようになりました。こんな40過ぎのおばちゃんをつかまえて。
妹とは年子なので、私には手を掛けてあげられなかった、妹に構っている間私は一人遊びしてくれていて、ほんとに手が掛からない子だった……出かける時はいつも父の肩車に乗れるのは妹だけで、私を一人で歩かせていた、そしたら私が溝にはまってしまって、可哀相なことをした……

『ほんとにいい母親じゃなかったのに、こんなに立派にええ子に育ってくれて、ありがとう』
母は『抱っこしてあげよう』と言って、私を抱きしめてくれました。抱きしめられている間、涙が出そうでした。
『でもそのお陰で、こういう私になれたんだよ。こっちこそ、ありがとう』そう言いました。
母に抱きしめてもらったのは、記憶にある限り、この時が初めてだった気がします。もしかしたら幼い頃にもあったかもしれないけど、たぶんいつも妹も一緒にいたので、そういう機会はほとんどなかったかも。

そして母は、私がヴァイオリンを弾いているところを観たい、と言いました。実家へもヴァイオリンを持って帰って弾いているので、音はいつも聞こえているんだけど、ちゃんと演奏しているところを観たいと。今練習している、ヴィバルディのコンチェルトト短調第1楽章を披露しました。
母にとっては馴染みのない曲だったので、“あー、こんなことなら、母が知っているような有名な曲を練習しておけば良かった”と後悔。でも『こんな長い曲が弾けるなんて、すごいねぇ。ほんま良かったわぁ~』と言ってくれました。
母は、車よりも高いヴァイオリンを買ったり、マンションを買ったり、仕送りしたりできるくらいの経済力が私にあることを、すごく喜んでくれているのでした。
母にヴァイオリンを渡して見せてあげると『ヴァイオリンなんて、一生触ることもないと思ってたけどねぇ』とうれしそうでした。

あと何度、こんな風に母と話ができるのかな……






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