SSブログ

母の涙 [私の日記]

昨日実家から帰ってきました。
11月始めに帰った時に父から、『お母さん、年を越せるかどうかわからんって、医者がゆーとった……』と聞いていた。まだ入院はしていない。でも、来週の22日に先生と相談して、いつ入院するか決めるそうだ。

今回帰って初めて母を見た時、あまりにも小さく痩せ細った母の姿を見て、目を疑った。

前回帰った時は体調が良ければ簡単な家事もやっていたけど、今ではもう家事をするどころか、お風呂に入ることも辛くなったと。ベッドから居間に起き出してきても、ただじっと座っていることしかできないようだった。
食事もお粥とみかんくらいしか食べられないと言う母は、かつてのふっくらした面影はなく、劇的に痩せてしまっていた。

入院すると寝たきりになってしまうのではないか、それよりも家にいる方が子供たちもいて何かと気も紛れるし、身体を動かすことも多いだろうから、入院するのはなるべく先延ばしにした方がいいんじゃないか……妹や私はそう思っていた。
だけど母自身は、家にいたら介護を妹にさせることになるので、早く入院したいと。お風呂に入りたいと。
もうここ何日もお風呂に入っていないということを、一緒に暮らしている妹には言っていないと言う。

妹自身も旦那さんとのことで問題を抱えていて精神的に余裕がないし、子供たちもまだ小さいので、母は身体の痛みや自分のしたいことを妹には話していないようだった。
看護師さんたちは仕事だから気兼ねすることがないから、入院したいのだと。

こんな話を私が母から聞いたのは、私が帰りの電車に乗る3時間前のことでした。

私は実家に帰ると、たいてい客間で、ヴァイオリンの練習したり本を読んだり、ゲームをしたり甥っ子たちと遊んだりして過ごす。居間にいても手持ち無沙汰になってしまうからなんだけど。居間にいる時でも妹や子供たちがいることが多いので、母と二人きりで話す機会は意外と少ない。

今回の帰省でもけっきょく母と二人きりで話したのは、私が広島に帰る3時間前。
そしてその時、母が涙声になった。ガンと分かってから初めてだった。
母は、私が家を出なければならない時間を気にして時計を見てから、
『まだ時間ええか?もう(こんなふうに話せるのは)最後かもしれんから……』。
そう言った途端、母の声が涙声になった。
そして泣き出しそうになったのをごまかそうとするように、私から顔を背むけながら、
『ももんちゃんといっぱい話したいんや……』と。

母は、気が強いとか口が立つといった性格ではない。どちらかというと大人しい、表に立つことのない人間だ。でも、芯は強い。辛いことや嫌なことがあっても、弱音を吐かず黙々と耐える人間だ。そして、プライドも高い。
だから、自分がガンになって、もう完治することがないと分かった後も、泣くこともなかったし取り乱すこともなかった。たぶん私の前だけじゃなくて、一緒に住んでいる父や妹たちの前でもそうだと思う。
『もう、私はいつでも、覚悟できてるから』
なにかにつけて、そう母は言っていた。

一緒に住む者には感じてしまう遠慮も、普段会えない私には感じないのだろう。
母にとっては、私と妹は同じ子供でも、一緒に暮らすとどうしても嫌なことや口争いなんかを言うことがあるから、妹に対してはいろいろと思うところがあるようだ。
それに比べて私はたまにしか会えないし、会った時も母にとって嫌な事は一切言わないし、けんかもしない。それだけに私に対しては、私たちが幼い頃に感じていた“可愛い自分の子供”という感情がそのまま残っているんだと思う。
だから、妹には言わないことを私には言ったり、妹には見せない一面を私には見せるんだと思う。

そうやって聞いたことを、妹に伝えることはほとんどない。妹が傷つくことが分かるから。
でも、お風呂に入りたいから入院したい、という母の言葉は伝えることにした。
妹は“なんで一緒に住んでる私にじゃなくて、たまにしか帰ってこんお姉ちゃんにしか言わんのや。私が面倒を看るってゆーたのに。お姉ちゃんは何にもせんのに”そう思ったと思う。

母が『着る物の準備、しとかなあかんで』と言った。
葬儀の時に着る喪服のこと。
『いざと言う時にいろいろ大変やから、準備できることはしとかな。前もってわかってることなんやから。まあ今は、洋服の人も多いけど』
『この前、礼服買ったわ。前に持ってたのも、サイズが合わんようになったし。でも、お母ちゃんにせっかく作ってもらったから、着物着ようとも思ってるんやけど』
こんな会話もした。

『布巾はすぐに汚れるから、こまめに換えてや。新しいの、ここの引き出しに入っとるから。外でするかもしれんけど、ここにも人が大勢来るやろうし』
葬儀や通夜振舞いに使う布巾のことだった。

それから、おせち料理の話もした。
今年のおせち料理は、自分はカツオ節で味付けした数の子は好きじゃないという理由で妹が買ってきた“松前漬け”になってしまった。でも母も私も、カツオ節で味付けした普通の数の子の方が好き。
『やっぱり数の子は、普通のを買うべきやな。こっちが買うお金を出したらええってことやなぁ。そしたら遠慮せんと好きな方食べられるし』
『そしたら私が今度帰ってくるとき、梅田で買って帰るわ。美味しい数の子を!』
母がおせち料理を食べられるかどうか……たぶんそれは叶わないことだと思いながらも。

『丹後に来るのは、ものすごく嫌やった。でも、子供たちのおかげでいっぱい知り合いが出来て、すごく良かったと思ってるんや。みんな仲良くしてくれはったしな。ほんま、そのことにはすごく感謝してるんやで』

結婚して、住み慣れた大阪を離れて誰も知り合いのいない丹後に来て、ましてや、近所でも有名な気の強いお姑さんと同居することになった母。豪放な父のおかげで借金にも苦労した。寝たきりになったお姑さんを一人で5年以上も自宅で介護した。
母と話すとそういった話がよく出てきたけど、今では“自分の人生は+の人生だった”と思うことができたようで、そのことがせめてもの救いかと思う。

年末は年休をとって、早めに帰る予定。




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0