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お母ちゃん、今までありがとう のつづき [私の日記]

母が亡くなってから、あっという間に3週間近くが経ちました。
その間に実家・大阪と広島を3往復して、大阪での新居探しと引越しの準備、仕事の引き継ぎ、4回の飲み会(多過ぎ!?)……と、超多忙なスケジュールの毎日でした。
あとは今週の火曜日から木曜日に掛けて引っ越しが待っています。来週いっぱいまでは、まだまだ落ち着きそうにありません。
が、今日と明日は広島で過ごす最後の土日で、少しホッと一息つけそうです。引越しの用意や夕方から部下夫妻との飲み会もあるし、ヴァイオリンの練習もしたいので、そうそうゆっくり出来ないけど、母の葬儀の記事の続きを書いておきたいので、なんとかパソコンに向かってみました。


3月20日、葬儀が終わり、火葬場へ行きました。
火葬場で、母と本当の最後の対面をしました。母の顔に触ってあげました。

その後、棺は釜の中へ。

父が点火のボタンを押した瞬間、どうしようもない悲しみに見舞われて、母が亡くなってから初めて、号泣してしまいました。
今までドラマや映画などで、この点火の瞬間に遺族が泣き崩れる場面を見たことがあるけど、やっぱり本当に、この瞬間が一番死を実感するのだと知りました。

私も妹も号泣してしまったので、それまでおばあちゃんの死を実感せず泣くこともなかった小学生と幼稚園児の甥っ子たちも、号泣してしまいました。
甥っ子たちは火葬場から帰るバスの中でも、ずっと泣き続けていました。
後で2人に聞くと、自分の母親が今までに見たことがないくらいに悲しんで、号泣していることにびっくりして、おばあちゃんがいなくなったことのほんとうの意味を悟って悲しくなったようでした。
2人には、『あなたたちがママのことが大好きで、ママがいなくなったらものすごく悲しいのと同じように、ママも私もおばあちゃんのことが、大好きだったんだよ』って言ってあげました。

火葬場から帰る途中、火葬場の煙突から黒い煙が立ち上るのを見た時、
“ああ、今、お母ちゃんが燃えているんだな……” そう思いました。


2時間後、再び火葬場へ向かい、お骨拾いをしました。
祖母や祖父の時も立ち会ったはずなのに、ほとんど記憶がないので、人の骨……燃えたあとの骨をじっくりと見たのは初めてでした。
その光景は“悲しみ”というよりも、“衝撃”“興味深い”という言葉の方があてはまる気がします。

頭蓋骨、肋骨、骨盤、両手両足の骨……皮膚や筋肉、内臓などを削げ落とした状態の骨が、人が横たわった形のままで残っていました。

頭蓋骨の中には灰色に炭化した脳みそが、そのままの形で残っていました。脳みそがこういう形で焼け残る人とまったく残らない人がいるそうです。親戚たちも、初めて見たと言っていました。

遺骨を少しずつ箸で砕いて、骨壷に納めていきました。
このお骨拾いにもそれぞれその地方の風習があって、二人一組になって1つの骨を拾うとか、骨を箸から箸へ渡していくとか、拾っていく順番とか、箸の種類とか、色々決まり事があるようです。
この地域では、二人一組ではなく、一人ひとり竹と木を組み合わせた箸で、足元の方から順番に骨を拾っていきました。

大腿部や骨盤の骨は硬く、力を入れて砕かないといけないほどでした。
最後に父が喉仏を拾ってあげました。喉仏を最後に拾うのは、その形がお釈迦様が座っているように見えるからだそうです。

遺骨だけでなく他にも、一緒に入れてあげた大学ノートが白く炭化して、膨らんだ状態で残っていました。骨盤辺りに茶色く残っているものがあり、看護師をしていた伯母が『これは抗がん剤の残りかもしれんね』と言っていました。

お骨拾いの時には、もう私の知っている母の姿はどこにもなく、見たこともない骨があるばかりだったので、なんだか不思議な感じがしました。
自宅へ帰る車の中で、妹と『理科室にある人体模型の骸骨だって言われてもわからんような、不思議な感じだったねぇ。でも、怖いとは思わんかったねぇ』と話したのでした。


お骨拾いの後は自宅に帰り、初七日法要も済ませました。初七日は本来であれば3月24日になるのだけど、葬儀の4日後になり、また遠方に住む親戚が集まるのは大変なので、葬儀が終わった後、同じ日に行なうことが多いそうです。

その後、最後の会食。この時は遠方の親戚たちはほとんど帰り、お世話をしてくれた隣組の人たちとお寺さんへのお礼の場となりました。

私はもう25年も前にこの家を離れて暮らしているので、隣組の人たちの中でも知らない人もいましたが、一人ひとりにお酌をして回って色んな話をしました。
実は私が中1の時の担任の先生も隣組におられるので久しぶりに話をしたり、私が子供の頃にしか会っていない人たちともゆっくりと話すことができました。
田舎では近所付き合いが深いので、こういう時に助け合えるということが、とても心強いです。


そして、最後に家族だけが残り、やっとゆっくりご飯を食べることが出来ました。

実は、妹の主人は1、2年前に別に家を購入したのですが、母の病気のことや学校のこと、そして夫婦関係の微妙な事情もあり、妹は甥っ子たちと一緒に実家で同居することを選び、主人と別居しています。ここ最近は仕事の関係で彼は遠方に住んでいて、子供たちとはもう1年も会っていない状況なのでした。
このまま離婚するのか、どうするつもりなのかを、妹は父や母、私にも何も言わなかったので、母の心残りと言えばこのことだったかもしれません。
お通夜にも葬儀にも彼が帰ってくるかも最初はわからず、父も心配していましたが、彼は葬儀には両親を連れてやって来たのでした。
この初七日法要の後の会食にも出て、翌々日まで以前同居していた時と変わらない様子で過ごしたので、『もうお父さんは僕たちのところへ戻ってこないかもしれない……』と思っていた子供たちはすごく喜んでいました。
妹も、うれしかったようです。
父も私も、ずっともやもやと心配していたので、ホッと安心したのでした。

今思うと、妹や甥っ子たちのことを心配した母が、自分が亡くなることで、彼らのお父さんを呼び戻して、元の鞘に収まるようにしてくれたのではないかと思うのでした。

もう1つ。母が亡くなった次の日に私に大阪への異動の辞令が出たことも、残していく父のことを想った母が、少しでも実家の近くになるよう私を呼び寄せたのかも、という気がします。


母が亡くなった日の前後はずっと雨模様で、まだまだ冬日が続いていたのに、お通夜と葬儀の日だけは、こちらの地方には珍しいくらいの晴天で暖かい日になりました。
母はこの地方独特のぐずついた天気と寒さが嫌いだったので、母を送るにふさわしい春の陽気の2日間でした。
火葬場で見た満開の彼岸桜が印象的でした。


母が亡くなってからの何日間は、ヴァイオリンを弾くことが出来なかったけど、葬儀の翌々日に妹がヴァイオリンの練習を始めたので、私も弾いてみることにしました。
母の前で弾いた時、『上手やなぁ~』と言ってくれた母を思い出しながら。

本当は27日まで実家にいる予定だったけど、引継ぎや新居探しのこともあるので、24日には広島に戻りました。

生活は日常に戻り、その後も転勤のことで慌しく過ごしたので、ずいぶんと気が紛れたけど、それでも何かにつけ母のことが思い出されます。
ほんとうは、今でもまだ母が死んでしまったことが信じられないのでした。
身近な人、大切な人の死を受け止めるには、まだまだ時間が掛かるのかもしれません。

25日から出社し、広島支店と大阪支店の両方でいろんな事を決めたり、相談されたり、指導したり……やらなければならない仕事もあって、“私、まだつい最近、母親を亡くしたばかりなんだよ!”って思いながらも、仕事も職場も待ってはくれません。
どちらの職場も支店長と課長が同時異動で、上司が長期に亘って不在になることで、みんなもすごく不安がっているのでした。
新しい支店長とも充分な打ち合わせが出来ない状態だったし、前課長と支店長が(わざと!)やり残していった期限付きの仕事も、いきなりフル稼働で動かなければならない状態だし。
“私が動かなきゃ始まらんやん!!”てなかんじで、さっそく沸騰しつつあるんだけど。

もうちょっと、お母ちゃんのことをゆっくり偲んであげたいのになぁ~
私自身の体も、けっこう疲れている気もするんだけどなぁ……

これからヴァイオリンを練習して、そのあと、この前転勤してきたばかりの部下夫妻と広島焼きを食べに行ってきます~











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Fuyuko

ももんさん、こんばんは。

お母様のこと、心よりお悔やみ申しあげます。
さぞお力落としのこととお察ししますが、
今日、ももんさんの新しい演奏を聴くことができ、少しホッとしました。

引っ越しも重なってとても大変だと思います。
おからだを大切になさってください。
by Fuyuko (2010-04-03 21:49) 

ももん

Fuyukoさん、どうもありがとうございます。

また大阪に戻りますので、
いつかお会いする機会もあるかもしれませんね。
今後とも、よろしくお願いします。




by ももん (2010-04-04 09:27) 

Fuyuko

発表会行ってきました。

総じてすごく上手でしたが、一言では言えません。

落ち着かれたら、
メールの方に連絡頂けたら、詳しくお話できるのですけど。
よろしければお願いします。

お仕事大変そうですけど、がんばって下さい。
by Fuyuko (2010-04-04 17:44) 

ももん

Fuyukoさん、発表会の話、興味があります!

それでは、この記事を『コメントを承認する』にしますので、メールアドレスを書いていただけますでしょうか?
確認した後、コメントは削除しますので、公開されないと思います。
その後、いただいたアドレスにメールします。

よろしくお願いします。



by ももん (2010-04-04 18:47) 

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